2014-05-20

壁はただの壁だ

パレスチナ側からも分離壁をみたいと思っていたのでぷらぷらと出かけて行った。

それともう1つ、ベツレヘム(Bethlehem)にはバンクシーというストリートアーティストの風刺画が複数あるというので、それもみてみたかった。
特別大好きというわけではなかったが、ドキュメンタリー映画が結構面白くてというのと、『Throw the flower』という作品が気になっていたからだ。

しかしそのバンクシーの壁画はどこにあるのかというのが調べても明確にはわからなかった。
宿の人に場所を聞いてみたところ、
「あれをアートだと思うのか?あれはただの壁だよ」と。
見に行くのは勝手だけど、来る人来る人バンクシーはどこだ、壁はどこだってことばかりだって、パレスチナにもイスラム教にも勝手に悪いイメージがついて、怖いとか言われるんだって、言われた。
きっと、そう思う現地の人は沢山いるだろうし、事実壁を見に来て帰っていくだけの自分だもんなぁと思った。ただの壁…忘れられない言葉。

場所を聞く事は出来なさそうだったから、適当に歩いていたらいきなりぶつかった。
兵士のボディチェックをする少女。インターコンチネンタルホテルの前の普通の壁に描かれている。

その道をずっとまっすぐ行くと分離壁がそびえたっていた。
監視塔からはイスラエル兵がみていた。でも銃をかまえたりとかはせず。ここはメインの通りの端で車も多く、あまりに日常のなかに突然の壁があると、これが分離壁であるかどうか一瞬わからない。

しかしその壁はずっと続いている。エルサレムでみた壁と繋がっているのであろう。

私がみたときは、壁にはもちろん色々な絵が描かれていたが、ベツレヘムに住む子どもたちが書いた短い文章が沢山貼られていた。

ここには以前JRというアーティストのパレスチナ人とイスラエル人のふざけた顔をしたポートレイトを貼って、両者ともと笑うというコンセプトの写真が貼られていた。(Face 2 Face

壁の前で談笑するひとたち。

朝起きたら家の前にいきなり壁が建てられ始めていたんだ、って話してたお土産屋さん。その前の日までは普通に通れたのに、たった1日で周りを囲まれてしまったと言った。

赤い吹き出しが指すのがこの店で、青い太いラインが壁が建っているところ。

壁づたいにずっと行くと、本来ならベツレヘムに入る時に通るはずだったチェックポイントに着いた。

ここから出てくる観光客を待つためにタクシーが沢山並んでいた。
タクシーには乗らないのだけど、見たい壁画の場所を聞くために運転手の人と色々話していた。日本から来たと言うととても喜んでいて、珈琲をおごってくれた。
近くの小さな売店で私と友達と2人珈琲を飲んでいると、なんだか珍しい客がいるぞ、とでも言いたげな他の運転手たちが沢山集まって来た。
俺のタクシーに乗れ合戦かと思いきや、ただ本当に見に来ただけで、その中の何人かは歓迎の言葉をかけてくれて、しばし談笑した。
よく来たよく来たとおじいさんに頭をなでられて、珈琲のお礼に売店でお菓子を買おうとしたら、お金はいらないと、いくつかのチョコバーを手に握らされた。

話を聞けた人にはいつ頃から壁の外に出ていないのか聞いてみたら、ほとんどの人が2000年くらいから出ていないと言っていた。
バンクシーの絵の場所はだいたい教えてもらえたが、一番見たいものは隣の町にあることがわかった。本当に沢山の人に場所を聞かれるよ、と。宿の人の話があったから少し皮肉っぽく思えてしまった。

目的の壁画とは向かっている方向が違っていたことがわかり、またベツレヘムの町に戻っている途中にバンクシーショップというのがあり、そこの店主にだいたい正確な場所を聞く事が出来た。
帰りには新しく壁画を描こうとしている人に偶然遭遇した。それに関するドキュメンタリーを撮っていた。

『Throw the flower』は聖誕教会のすぐ横の道をずっと下ったところにあるようだった。
途中でまたバンクシーと思われる絵を見つける。色々調べているとこれは偽物だとか本物だとか、真偽はよくわからない。
奥に見えている建物群はイスラエル人の入植地だ。新しい住居が次々と建っている。

色々道に迷って、いわゆる普通の住居群にたどり着いた。地図でみるとBeit Sahourという町かエリアだったはず。人は住んでいるけど町の活気が一気になくなる。

とにかく沢山の人に道を聞いて、辺りが暗くなり始めてやっとたどり着いた。
ガソリンスタンドの裏の壁に描いてあるということは事前に調べて知っていたが、その目当ての場所にたどり着きそうな時、スタンドの店員の人たちが大きく手を振って、まるで待っていてくれたかのように歓迎された。
名前を聞いて、挨拶をして、日本から来たと言ったらまたとても喜んでいた。

まぁ沢山の人が見に来るから慣れているのだろうと思うが、何も言わなくてもこっちだとすぐに壁の裏に連れて行かれ、見た瞬間に「これはすごいな」と思った。
1階建ての建物の壁一面に描かれていて、思ったより大きかったからというのもあるが、迫力がすごかった。
英語があまりしゃべれないスタンドの店員のおじさんがゆっくり見て行きなさいと言わんばかりに、椅子を持って来てくれた。

少し写真を撮っていると、スタンドの店員のおじさんがまた戻って来た。その手には一輪の花が。なんだかそれがすごく嬉しくて、その優しさに驚く。
(友達が撮影)

充分に堪能して、帰る時、おじさんに「ありがとう」とお礼を言うと、おじさんもしっかりと「来てくれてありがとう」と言った。
私はそれを聞いた時に、今までベツレヘムに来て感じていた、自分がただの旅行者であることや、壁画を見たいと思っていたことへの複雑な気持ちがすっと晴れてちょっと泣きそうで来てよかったと素直に思えた。いやもう完全な自己満なんだけど、ぐるぐる考えていたことが沢山あってからの「来てくれてありがとう」は本当に強い言葉だったのだ。

道中に出会った人も皆優しかった、困っていれば助けようとして、不要なチップ請求やぼったくりも全く会わず、観光業でなりたっている場所のすれた感じが全然しない。
歴史や現状を足りないが今の出来る範囲では知って来たけど、色々な悲しいことや憤りを感じる事が沢山あってもなお、知らない人に優しくできるというのは本当にすごいことなんだと思う。

2014-05-18

パレスチナ自治区に行ってみよう

イスラエルと領土を分割して、ガザ地区とヨルダン川西岸地区に分けられたパレスチナ自治区。エルサレムから足を伸ばして自治区内のベツレヘム(Bethlehem)に行く事にした。
事前情報だと、自治区に入るにはチェックポイントを通らなくてはいけなくて、そこで厳しい荷物チェックと、運が悪ければイスラエル軍からの質問攻めに合い、やっと入れるとか。若干緊張してバスで向かう。

エルサレムのバスターミナルからNo.24のバスに乗った。他にもいくつかベツレヘム行きのバスはある。7.3シュケル(約197円 ※1シュケル=27円)。40分くらい。
バスに乗って分離壁の横の道をずっと進み、チェックポイントはまだかまだかと思っていたら、なぜかチェックポイントを通らずにベツレヘムの町に着いてしまった。パスポートなど、なんのチェックもされずに入れてしまったのだった。謎だ。

町は意外と普通に見えた。


ベツレヘムにはキリストが生まれたという聖誕教会があり、世界各国からキリスト教信者が巡礼にくる場所でもある。
しかし2002年にはイスラエル軍のベツレヘム侵攻があり、パレスチナ人は聖誕教会に逃げ込みそこをイスラエル軍が包囲・銃撃するという事件もあった。40日ちかく住民は教会に立てこもり、最終的にはパレスチナの武装テロ容疑者を国外退去させるなどの解決策で終息。侵攻はパレスチナ側からのテロが原因だとしても、一般人も巻き込みしかも聖域で銃撃したことなど、国際的にはまたかなり批難された事件だった。

町は意外と普通に見えたが、そういう事件も起きていて、住んでいる人たちのなかでも恐怖を覚えた人ももちろん沢山いるだろう。
マーケットに行っても、町を歩いていても、「どっからきたんだ?日本か?よくきたな!」みたいな人が多く、人々の雰囲気も含めて優しくされたという印象がすごく強いベツレヘム。ひょこっと旅行で中に入って数日後には出て行ける、それがとっても申し訳ないような、複雑な心境になる。



せっかくなので聖誕教会にも行った。

ここがキリストが生まれた場所らしい。
なぜか内部の写真をほぼ撮ってないので写真がないけど、教会はわりと小さく、地下に向かって広がっている感じ。礼拝堂も特にステンドグラスがすごい、とかそういう感じではなく、内部は質素な印象だった。

ベツレヘムの方がエルサレムより若干物価が安かった。いい安宿もみつかり、ベツレヘム滞在が始まった。

2014-05-16

岩のドーム、そして分離壁を見に行く

嘆きの壁と聖墳墓教会を見た日に、イスラム教の聖地である岩のドームを見に行こうと思っていたが、入る事ができなかった。
というのもイスラム教徒ではない人が入場できる時間が午前の数時間と午後の1時間しかなく、並んだけれども思ったよりもずっと列が長く、時間内に入場するところまでたどり着けなかったのであった。

別日に朝7:30から並び、9時頃入場することができた。団体客が多く、個人よりも団体の入場が優先されることが多くてだいぶ時間がかかってしまった。
嘆きの壁に入るよりも少し厳しめに荷物のチェックがあった。ムスリムの人たちは別の入り口から入る事ができる。

しかしこの岩のドーム、エルサレム神殿の跡地にあるのだ。ユダヤ教の聖地である嘆きの壁は跡地の外壁のことを指し、つまり同じ神殿の跡地を2つの宗教が聖地としているという。
外から壁の上を通って岩のドームを目指す。
写真が分かりづらいが、上部にある取ってつけた廊下がドームへの道。

上から嘆きの壁を見る。

そして神殿跡地の内部に入るとすぐに岩のドームが見えた。いくつかのムスリムのグループが固まっていたが、この時間帯は観光客のほうが多かった。

とってもシンプルな建物である。
ここはイスラム教の予言者ムハンマドが昇天して神に対面した場所だと言われており、聖地となっている。中には聖岩があり、そこにムハンマドが19本の金の釘をさし、全てが取れた時に地球がカオスになる的なことを予言したという。今は3本の釘が残っているそうだ…あと少し。

そしてこの岩のドームがある場所は、キリスト教にとっても聖地といわれ、ユダヤ教にとっても聖地と言われている。もちろんそれぞれの理由があってのことだが、また複雑だ。
現在の管理はイスラム教らしいが、この神殿跡地の外壁はユダヤ教が管理していたり、話だけ聞くとぎりぎりのラインで平和が保たれているような気もしてしまう。平和という言葉が適切ではないけど。
それでいて東エルサレムはイスラエルの領地とされているから、なんだろう、本当にそれこそカオスな状態だ。

ドーム内はムスリムしか入れないので外観だけ。

エルサレムにいる間に1度イスラエルが勝手に建設しているパレスチナとの分離壁をみに行くことにした。
旧市街をでて30分くらい歩いていくと遠くからでもわかる壁がぐねぐねと続いているのが見えた。
写真真ん中あたりに大きく曲がっている壁がそう。

この壁は、イスラエルが保安のために建てている壁で、パレスチナ自治区であるヨルダン川西岸とイスラエルの境界に建てているはずだが、その領域を無視して建てられており、そのうえでイスラエル人を次々と壁の内側に入植させているというのだから、戦いは終わらないはずだ。

壁の上の有刺鉄線を見るとまるで刑務所のようである。
のちの記事で書くつもりだが、パレスチナに住む人は壁の外へ出る許可が必要で、それも数種類ありもう出られないであろう人もいる。戦争があって領地を分割したところまでは理解できるとしても、保安のためといって壁をつくり監視しているのはなぜなんだろう。攻撃や報復があるからといえばそうだろう。

ここに来るまでに道に子どもがたくさんいて、みんな私と友達を中国人だといってまたバカにしたような感じで追いかけて来ていた。子どもがめんどくさいと思っていたが、壁の近くに少し大きめの子どもがいたから話しかけてみた。

彼らは中学生くらいで、最初は中国人かと警戒されていたが、私たちが英語をしゃべれるとわかるとなぜか和やかになった。
壁の後ろに何があるのか聞くとパレスチナだ、と答える。あとは当たり障りない話をして別れた。なぜか食用のひまわりの種をくれた。

他の場所の写真を撮っていると他のこどもから「警察が来るから写真撮らないほうがいいよ」って言われる。いたずらなのか本当なのかわからないけど、壁があるというだけでなんとなく緊迫している雰囲気があった。
壁をつたっていくとパレスチナ側への入り口のようなものがあり、どっち側の兵士かわからなかったが銃を構えた兵士がいた。でも車や一般人と思われる人はその入り口を通って普通に中に入っていく。この場所がどういう入り口なのが詳細が結局わからなかった。

現状のエルサレム周辺はこんな感じで人々が生きているんだなぁ…。帰りは岩のドームが光っていた。

エルサレム滞在:2013年11月2日〜4日


嘆きの壁と聖墳墓教会

自分は信仰はしていないものの、やっぱり気になるのでそれぞれの聖地を巡ってみた。

まずはユダヤ教の聖地である嘆きの壁。ここはユダヤ教で最も神聖な建物であったエルサレム神殿の跡地で、壁だけが残っている。今は神殿はもうない。壁の後ろ側にはイスラム教の聖地がある。
到着すると壁の前に沢山の人が集まっているのがすぐにわかる。このエリアに入るときは簡単な荷物チェックとX線がある。

男性は男性専用の祈る場所、女性は女性専用の祈る場所があり、観光客であれ自分の性別の方にしか入れない。写真は特に禁止されていないみたいだった。


さらに近づいてみると。
壁に手を当てたり、聖書を読んだり、泣いている人もいた。祈り方は様々なのか。しかしこれだけ熱心に祈る姿はなかなか見る機会がない。

男性の方が場所は少し広いようだった。男性は超正統派と呼ばれる宗派を信仰している人は、私からみれば変わった格好をしているので、すぐに分かる。
最近までは兵役も免除されていたらしいが、2014年になって超正統派の人も徴兵される法律が可決したそうだ。また少し国が変わっていくのかな。

そして夜になってもまだ祈りは続いていた。

続いてキリスト教の聖地へ。
聖地はキリストが磔刑にされて処刑されたというゴルゴダの丘があったであろう場所に建つ聖墳墓教会だ。キリストはゴルゴダの丘まで十字架を背負いながら歩いていったというが、その通った道も旧市街内に残っている。
見た感じはなんの変哲もない場所だったりするが、聖母マリアがキリストを見つめた場所、とか、つまずいた場所、とかそこで起きた事が細かくあり、そこを巡礼者は歩いて教会まで行くのである。それを悲しみの道と呼ぶらしい。

同じように歩いている間にも、団体で巡礼にきている人たちをみかけた。一緒に大きな十字架を持ちながら巡る団体もある。

多分これはアフリカの団体。色んな国から来ている人がいる。
もちろん彼らが歩く道は、横をユダヤ教の超正統派の人も歩けば、イスラム教徒の人たちも歩く。それがここでは今は自然な風景になっているように思えた。

そして聖墳墓教会に到着。

中に入るとすぐに、亡くなったキリストに香油を塗ったとされる場所がある。

そしてさらに中に進むと、キリストの墓がある。亡くなったあと数日後に復活したとされているので、遺体があるわけではない。
かなりの行列だったから中にこれの中に入るのはやめた。
本気で祈っている人と、自分と同じような感じで観光している人とどちらもいる感じ。

本当に元を正せば、ユダヤ教からキリスト教がうまれて、キリスト教からイスラム教がうまれた訳だから神様は1つだったわけで、宗教間の対立は起きてしまっているけど、個人レベルで考えたら信仰する事が重要なわけで、他を迫害する事は本来の目的を外れてしまっている気がする。エルサレムにいる間は、宗教間の対立が知らない人同士の間で起きているように見えなかった。
ダライ・ラマの説法を聞いた時の言葉を思い出す「病気に合わせて薬を選ぶのと同じように、自分に合った宗教を選べばいいのだ」と。本当はそれが全てで、正しい気がした。

夜に旧市街を歩いていたら、十字架を片付けている人に遭遇。昼間の信者の人たちの真面目な感じをみていたから、この裏方の人の抜けた感じが面白かった。

2014-05-15

なんとも複雑なエルサレム

エルサレム(Jerusalem)に到着して、とりあえず安宿を探し、一息。
物価が高めのため、ほぼ自炊することになり食材などを買いに出かけた。町の雰囲気はアンマンよりは人が多いし、聖地巡礼できている人も多いからか、ざわついていた。

旧市街の中に3つの宗教の聖地があるため、中の方がお土産屋やガイドや観光客でさらに一杯という感じだった。旧市街の町並みは素敵。



さて、このエルサレムという町、歴史的にはというか現在もとっても複雑な場所である。
その前に簡単にイスラエルの歴史を考えてみる。
イスラエルという国はユダヤ人が第二次世界大戦後に自分たちの国をつくろうと移住して来て建国した。ユダヤ教の聖書である旧約聖書にこの地をユダヤ人に与えると書いてあったからだ。
しかしその地はパレスチナと呼ばれアラブ人たちがすでに住んでいた。もっと大昔にはユダヤ人が住んでいたが、1度国が滅びてから世界各国に散り散りになっていたのだ。
国連が間にはいり、ユダヤ人とアラブ人の住む地域を分ける事で解決したように見えたが、元々住んでいたアラブ人がイスラエルができたことに怒り、攻め込み、中東戦争が始まった。
結局4回も戦争して、今度はアラブ人が住む地域と国連が決めていた場所をユダヤ人が占領するところまできて、それに対抗してさらに戦いは続く。最終的にはオスロ合意で「ガザ地区」と「ヨルダン川の西岸」をパレスチナ暫定自治として開始されたが、まぁまたそれに反対する攻撃と、それに報復する攻撃と、今でも永遠に繰り返されている。

超簡単にいうとこんな感じ。
そしてこのエルサレムにはユダヤ人が多く信仰しているユダヤ教の聖地があり、アラブ人の多くが信仰しているイスラム教の聖地がある。しかも隣り合っている。
エルサレムはアラブ人が住んでいた東エルサレムと、ユダヤ人が住んでいた西エルサレムに分割されると国連が決めていて、中東戦争のときに東側はヨルダンが占領していたが、それをイスラエルが奪い、今では東西ともにイスラエルが所有権を主張している。
しかし元々住んでいたパレスチナも所有権を主張しているのでまた問題が起きる。しかも聖地は東エルサレムにあるのだ。
イスラエルはエルサレムを首都だと主張しているが、国際的にはこれは認められていなく、かなり宙ぶらりんな感じ。既成事実をつくるためにユダヤ人をどんどん東エルサレムに入植させて、アラブ人が入ってこないように壁を建てたり、勝手な行動が多く、国際的にはかなり問題になっている話だ。

エルサレムがイスラエルの管理下にあることで、イスラム教を信仰するアラブ人は巡礼できない人が多いし(入れないので)、イスラエルと国交のない国のイスラム教徒も同様である。
なのでイスラエル・パレスチナ問題があるなかで、エルサレムというのはかなりキーになっている場所であって、キリスト教の聖地もあるもんだから、すっかり観光地化されているが、正直また何かが起きる可能性はある場所なのだと思う。

私はこの3つの宗教のどれも信仰していないから、ありがたみはないのだけど、いがみあっている民族同士が隣り合う場所(といってもお互いに見えるような位置にはない)で祈っているなんて、不思議すぎる。なんのための神がいて、何に祈るんだろう。

そんな聖地のある旧市街。各国の人々がいるのはもちろんのこと、イスラエル軍もうろうろしている。
男女ともに徴兵制度があり、どこで見かけてもみな若いなーという印象。

そして国連の車もうろうろ。

なにげなしに過ごしていればただの石畳の趣きのある町だ。どんな場所でも多少その歴史を知ってからいくというのは、私にとってはとても重要なことだと思った。