2016-06-20

ナミビア周遊の旅5日目(ヒンバ族の村〜エトーシャ国立公園)

カマンジャブ(Kamanjab)の宿でヒンバ族の村が近くにあることを教えてもらった。
だいたい20kmのところで、C40の道を進み、F(またはDだったかも)2656に入ると小屋があり、そこが受付だ。ぱっとみそこに村があるなんてわからないから何度か通り過ぎた。

ガイドのノリのいいお兄ちゃんがきて、見学には1人250ナミビアドル(約2,500円 ※1ナミビアドル=10円)かかるといわれるが、我々の予算は100ナミビアドル(約1,000円)だったので、値下げ交渉をする。
まずお土産を持って来たことを力説した。私たちが車で来ていることがわかると、あとで村人を近くの町まで車で送ってくれれば、100ナミビアドルにしてもいいよと言われた。ガイドの人が1人で承認することはできないから、もう1人のガイドがOKって言ったらと言われ、どうにか2人の承認を得て100ナミビアドルで見学することができた。

村の中はこんな感じで小さな家がいくつかあった。

ちょうど政府からの配給の日のようで、小麦粉やサバ缶が配られていた。見ている限りだと、本当に均等に分けているように見えた。
政府の配給は月に2回で毎回小麦粉とサバ缶だそうだ。足りない物は村から町まで買い出しに行く。買い出しに行く人を後に自分たちの車に乗せるのだが、ヒンバ族なのだが、このような髪型でもなく、普通の洋服を着て出かけて行った。子どもは学校に行っている子もいるのだそうだが、学校に行くときは洋服を着ると言っていた。

配給が終わってみんなそれぞれの家へ戻る。

女性の髪がとにかくすごい
ちなみにこれはすべてエクステらしい。中国製だよって言ってた。

子どもがとにかく村に多い。親のいない子どももいるらしく、その場合は村の女性が子どもの面倒をみるのだとか。昔の生活そのものだなと思う。政府に保護されているというのもあって、ある程度暮らしてはいけるのだろう。

子ども達がものすごく元気。自由に走り回って、転げ回って、一緒に遊んだけど、体力的には本当にしんどかった。

おんぶとだっこを同時にやったあげく、ぐるぐる回転するのを何回もせがまれてやっていた。楽しかったけど筋肉痛になった。ヒンバ族は体に赤い土と脂肪をまぜたものを塗っているから、おんぶとだっこしたら服に赤色が染み付いた

お土産に買って行ったクッキーもその場で配布がはじまったが、子ども達がさっとちゃんと列をつくって、ひとりずつ均等に分けられていた。こういうところで規律がちゃんとしているのってすごい。列の一番後ろをみたら、ガイドの人も並んでいて本当に笑った、そういう冗談ができるよくわかったガイドだった。

子ども達以外は私たちにあまりかまわないし、みんな気にせず自分の生活を進めているようにみえた。写真をばしばし撮るのもきがひけて(結構撮ってるんだけど、それでも)、遠くから生活の様子を見ていると、みな雑談して大笑いしたり、子どもをしかったり、本当に当たり前のことをしていて、当たり前なんだけど同じ人間であって、どこか違う特別ななにかであるという認識を勝手にもっていたことを恥ずかしいと思った。

家の中をみせてくれて、ヒンバ族の女性がお風呂に入る代わりに実施していることを見せてもらった。
足の間にある壷みたいなものに、バターミルクを入れて蒸す、そこから出てくる煙を体におしつけている。サウナと同じイメージらしい。男性はどうしているかというと水浴びでお風呂代わりにしているという。女性は水浴びしないんだな…しかも毎朝誰もみていないところでこれをやるという決まりらしい。
この実演してくれた人は、煙が熱くて「あちっ!」ってなってたのでまた笑った。

最後はみんな土産物を販売。でも誰も買って買って、って感じにならなかった。こっちは本当にお土産にさくお金がないので気持ちは楽だった。

男性のヒンバ族ももちろんいる。

ゆっくり見たいだけ見学できてすごくよい体験だった。帰りはヒンバの女性と子どもを車にのせて、Outjoという町まで送って行った。帰りはどうするのかと聞いたら、ヒッチハイクするから平気、と言っていた。

Outjoの町で久々にチキンとポテトフライを食べた。それまでずっと缶詰とパンだったから、力が沸いた。車を停めて、車中で食べていると、すぐに「金くれ」って町の人が寄って来た。すごく危ないわけではないが、久々に貧しさを感じた。

また車を走らせてついに念願のサファリへ!
エトーシャ国立公園という公園の中の、予約しておいたOkakuejo Campに行った。

公園の入場料は80ナミビアドル(約800円)を宿泊数分支払う。公園のなかに複数のキャンプ場があるのだが、Okakuejoが良いと言われているのは、動物が集まりやすい水場があるから。水場だけなら他のキャンプ場にもあるのだが、広さと観察のしやすさでいったらOkakuejoが一番すごい。

ロッジもあるけど、私たちは当然のキャンプ。でも敷地内にあるプールは入り放題だったので、久々にリゾート感覚でプールサイドで眠ったりしていた。

日が暮れる頃にさっそく水場を見に行ってみたら、沈む夕日とともに、サイが遠くからゆっくりあるいてきた。
私のカメラだとこれが限界だったが、肉眼でみる野生のサイは思ったより角が長くて、がっしりしていて、夕日をバックに歩いてくる姿がかっこよすぎて鳥肌が立った。

本当に贅沢な時間だった。ほぼ地平線の向こうから色々な動物がやってきて、沈んで行く夕日をゆっくりみながら夜を待つ。
日が昇って沈むところをゆっくり見ることなんて、日本で普通にすごしていたらまず私の場合はない。どっちから日が昇るのかなんて、もちろんわかるんだけど、日常として常に意識していることではない。今この時はそういう風に意識することがすごく貴重に思えて、何だか色んなことに改めて感謝したくなっていた。


2016-06-15

ナミビア周遊の旅4日目(カマンジャブ)

今日でお別れの仲間を見送ったあと、スーパーで軽く買い出し。
アフリカの人の髪はくせっ毛すぎてちりちりするから、ほとんどがエクステらしい。すごい種類。

スワコプムントにあるショッピングモールで、安く革靴が購入できると宿の客から聞いたので行ってみる。
クリスマスが近いからツリーがあるが、南国の雰囲気と合わなすぎて違和感があった。こっちの人にはこれが普通なのだろうが。

この店!オーダーメイドもできたっぽいけど、時間がないので店に並んでいる靴から選んだ。Kuduという鹿みたいな動物(ウシ科らしいけど)の革でできた靴だ。値段忘れちゃったけど、数千円だったとおもう。

次の目的地カマンジャブという町まであとはひたすらドライブ。もはや景色が壮大すぎてよくわからない。

途中の休憩所。椅子とテーブルとゴミ箱だけ。誰が管理してるんだろう。

ほんとに町っぽいものがなく、ひたすら北上を続けた。ヤギが通ります。

そしてカマンジャブ(Kamanjab)の町に到着。キャンプ場が併設されているホテルというかコテージ群があるところに泊まる。我々はもちろんテント泊。

宿にはバーがあり、Wi-fiもあり、冷たいビールが飲めて、すごく快適だった。なかなかいい場所。

翌日にオプウォという町までいってヒンバ族の村を訪れる予定でここまできたが、宿の人に聞いたらカマンジャブの近くにもヒンバ族住んでるよ、とのことだった。場所を教えてもらい、思ったよりすぐに訪れられそうで安心。オプウォは結構遠いので。

4日目はひたすら移動の日だった。

2016-06-13

ナミビア周遊の旅3日目(スワコプムント周辺)

スワコプムントの朝、久々に少し遅めに起きた気がした。宿には珍しく朝食がついていて、目玉焼きと焼いたベーコンが出された。やっぱり食は大事。

スワコプムントは前記事で書いた通り、少し治安がよく、雰囲気もお金持ち地域のような感じがした。まずはスーパーで買い出しをする。自分たちの食事、あと今後行く予定のヒンバ族の村へのお土産のお菓子などだ。
すっかりクリスマスの雰囲気。

すごい積み方である。

このスーパーは他の国とそんなに変わったとこのないスーパーだった。時計のショウウィンドウに鉄格子がついていないなんて、信じられない。

町はこんな感じでドイツ植民地時代の建物が多く残っているらしい。

ムーンランドスケープという月面のような場所の入場料40ナミビアドル(約400円 ※1ナミビアドル=10円)を街中にあるNamiia Wildlife Resort で支払い。あと後日行く予定のエトーシャ国立公園のキャンプサイトの予約もした。Okaukuejoに行くなら、予約しておいたほうが無難。

スワコプムントからだいたい1時間くらいでムーンランドスケープへ。相変わらずなんもない場所。

月面世界のような場所。チリのアタカマ砂漠でもそう呼ばれる場所があったが、私の中で好みの月面はナミビアのほうだった。これぞ写真では伝わらない世界。

月面はこうなっているのかもしれないと思った。何もないけどそれがよい、ここでのんびりお昼を食べた。

その後はまた1時間くらい車を走らせて、1500年もの間生き続けているベルベッチアという植物を見に行った。思ったより大きい…そして砂漠の中にぽつんと金網でかこってあるからなんだかシュールだった。

近づくとこんな感じ。ほんとに大きい。これ絶対漂流教室に出て来た気がする。砂漠の真ん中の孤独感とこの世の終わり感がすごい。

これは全然違うところにあったやつ。砂漠の中でもぽつぽつとこの植物は見ることが出来た。

続いてDUNE7というナミブ砂漠とはまた少し色の違う感じの砂丘へ向かう。後ろに見えているのがその砂丘。手前には線路が。使われてるのかな。

これがほんとの線路は続くよどこまでも、だ。これどこに向かっているんだろうか。

DUNE7は白っぽい砂の砂丘で、ナミブ砂漠よりもっとさらさらしている。そして場所のせいもあるのだろうが、風がものすごく、カメラが防塵じゃなければ絶対やられると思う。ただでさえ砂に足をとられるというのに、この砂丘ったら本当に急坂。ナミブ砂漠よりももっと体力を奪われながら上までのぼった。

下りるのが怖くなるくらい急だった

耳と目に砂が入りすぎた。転がった訳でもないのに。
砂だらけになりながら次はウォルビスベイという港町へ。ここはずっと昔イギリス領で、その流れで1994年まで南ア領になっていたので、西洋っぽい感じがすごく残っていたし、スワコプムントよりもっとお金持ちエリアという印象。
ここにはフラミンゴがたくさん!
フラミンゴ意外と人慣れしてなくて、近づくとすぐ逃げた。

砂丘から夕日を見ようと場所を探したが、いまいちいい場所が見つけられず、港町っぽいところで見た。少し良さげなレストランが立ち並んでいたりして、我々の貧乏旅行の分際でこんなところに、と思うと何だかおかしかった。


夜は宿に帰って飲み会をした。
一緒にレンタカーの旅をしているうちの1人は明日で別ルートに行くのでここでお別れだからだ。元々そういう予定で一緒に来てくれていた。今までも旅先で会う人と、それぞれ面白いことがあったが、今回は特に面白いメンバーが揃っていて、この日の夜は、この旅をし始めてから初めて笑いすぎて涙がでた。


2016-06-06

ナミビア周遊の旅2日目(ナミブ砂漠〜スワコプムント)

砂漠で朝日が昇るのを見るために、日の出が6時頃ということで、朝4時半に起きてDUNE45という砂丘へ向かう。
まだ星がきれいに出ていた。流れ星や天の川も見ることができた。

砂漠に入るのに80ナミビアドル(約800円 1ナミビアドル=10円)。DUNE45までの道はちゃんとアスファルトで整備されており、キャンプ場から約40分で目当ての場所に到着した。まだ明るくなりきっていない道のりで、左右の景色はすでに砂丘だった。

朝日が昇る前に、みなで砂丘にのぼっていく。砂に足がとられて思うように前に進めない。思ったよりこの砂丘をのぼることが辛かった。

上までいくと、周りがずっとずっと砂丘で、ここはどこだろうと思う。

太陽が昇ってくる。

太陽が昇ると、砂丘に赤と黒のコントラストができあがって、本当に美しかった。色々なところで砂漠や砂丘、日の出をみてきたけれど、ここでの景色は特に覚えている。人間が太陽に祈りたくなる意味が分かるような気がした。


砂にまみれてしばし遊んだあと、砂丘を下りる。砂紋もすごい。

また車に乗り、デッドフレイという何百年も前は沼地だったが、それが干からびて今は枯れた木だけが残っているという場所にいった。
その地域に入るには四駆車でなくてはだめだということで、あまりにも暑いし1人100ナミビアドル(約1,000円)出してシャトルに乗って移動した。

ほんとに干からびている。


本当に不思議な光景だった、木がまだ立っているのも不思議だし、根元とかどうなってるんだ、っていう形をしている。

続いてソススフレイという高さが300m、広さも他の砂丘とは比べ物にならないという砂丘にいく。なんかもう結構な山にみえる。

多分写真だと全くわからないのだけど、DUNE45よりももっとずっとずっと遠くまで何もない砂丘が広がっていて、風がふいているのがよくわかって、砂丘登るのが辛いから、自分の呼吸だけがすごく聞こえるようなところだった。

そして死ぬほど暑かった。でも本当に、無限に広がるなにかっていうのがあって、ナミブ砂漠は行ってよかったところの一つになった。

キャンプ場に戻りテントをたたむ。自分でテントを組み立てて、たたむ、ということ自体初めてだったけど、ちゃんとできた。やればできるじゃないか。
パンク仲間のアメリカ人家族とまだ遭遇して、進む方向が一緒だからまた会うかもね、なんて話たりして。
次の目的地であるスワコプムント(Swakopmund)へ出発した。途中なにもない道が続く。何かのロードムービーを思い出した。

そしてまた夕日が沈んで行く。
道はオフロードもあったが、町に近づくにつれてアスファルトのちゃんとした道路になっていった。
スワコプムントについたのはもう結構暗くなってからだったが、町をぱっと見た限りで治安が良さそうに思った。店のショーウィンドウには鉄格子がなくそのまま商品が飾られている、夜なのに子どもも女性も道を歩いていて、塀にはバラ線もなければ塀自体が低くてよじ上れてしまいそう。アフリカの他の土地ではあまり考えられない治安の良さ。

ずっと食パンばかり食べていたので、ケンタッキーにいって満足した。ドミトリーだけど、四人で離れの部屋一つまるまる貸してくれたので、自分のたちだけの場所という感じが安心した。